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こころの発達、その2

誕生直後の赤ちゃんは、口をモグモグさせたり、手足を動かすことぐらいしかできません。イモ虫と同じレベルです。やがて這い回るようになるとイモリやトカゲに肩を並べ(両生類や爬虫類レベル)、つかまり立ちでネズミや犬に追いつき(哺乳類レベル)、独り歩きでやっとおサルさんの仲間入り(霊長類)、というわけです。

しかし歩けるようになったからといって、その日に歯をみがいたり、自分で服をきたり、オシッコやウンチの始末ができるようになるわけではありません。身のまわりのことが独りでできるようになるまでには、ヒトの場合にはまだまだ年数がかかります。

このように日時の経過とともに、それまでできなかったことができるようになる現象を、医学や心理学では発達とよんでいます。普通の環境で育つ限り、とくに教えなくても大人にできるほとんどのことは自然とできるようになる、それが発達の特徴です。

ただし、それぞれの機能の発達には、一定の順番があり、獲得の時期についても個人差があって、早いこども、遅いこどもがあります。大人との質的な違いが減少していくことが発達で、量的な違いが減少していくことが成長とよばれる過程なのです。

ところで、体格や運動発達などには何の異常もないごく普通のこども、つまり正常に成長・発達をしてきたように見えるこどもが、突然、反社会的あるいは非社会的行動に走ったりするのは、どうしてなのでしょうか。問題を起こしたこどもたちは、社会的存在すなわちヒトとヒトの間の存在(=人間)になることができていたのでしょうか。 前号に続いて、これらの問題を考察していきます

乳児期:よい母子相関作用がえられること
さて、生まれた直後から独り歩きが始まる頃までは、母子相関作用の無限のくり返しが欠かせない時期です(前号参照)。対人関係の第一歩は母親との信頼関係の構築です。
たとえば、「この子は夫には喜んで抱かれるけど、私にはすねた目つきをする」と思っているとします。その原因は、赤ちゃんの目をまっすぐに見つめることを、母親自身が意識的あるいは無意識的に、くり返し避けてきたことにあるかも知れません。

口では「よしよしいい子だねえ」と言いながら、母親が目をそらしたり、笑顔を伴なわない表情をくり返せば、やがて赤ちゃんも母親の目を見なくなってしまうでしょう。言葉と視線としぐさとが一致していることがきわめて大切なことです。これらがバラバラであれば、こどもはとまどい、母親のどの部分を信じてよいのかわからなくなります。乳児期から始まる微妙なボタンのかけ違いが、母子不信の芽となるのです。

乳時期に、よい母子相関作用をえることができなかったこどもは、長じていろいろな問題―神経症的傾向や抑うつ、離人症、心身症、不登校など―を起こすようになりますが、その根底には必ず母親に対する分離不安が通奏低音のように存在します。

母親の姿が見えなくなるのではないか、いつか自分をおいていなくなるのではないか、わたしのことを大好きだ、大切だと言ってくれるけれど本当だろうか、という不安、それは成長しても根深く続く根源的な怖れとなるのです。

病的な分離不安を起こさないためには、歩き始めるまで(満1歳~1歳半頃)の母子密着が欠かせない条件です。この時期にはいくら甘えさせてもよいと言われています。

1歳から2歳頃のこどもは、歩くことが楽しくてたまらないので、母親がそばにいる限り、どんどん行動半径を拡大していきます。見守っているほうは、事故が起こらないかとひやひやします。乳児期に十分に甘えることのできたこどもの特徴です。

ところが、乳児期に十分な母子密着を経験できないままのこどもは、歩けるようになっても、あまり歩き回ろうとはしません。動きの少ない、つまり一見手のかからないこどもに見えます。独り遊びもあまりしません。わずか10センチの距離でも、母親から離れると火がついたように泣き出すことがあります。

満2歳を過ぎると必要な父性の存在
「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。この三つ子は数え年の3歳すなわち満2歳のことです。より正確に表現すると、2歳台ということでしょう。

2歳半から3歳頃までのどこかで、それまでの幼児言葉から急におませな話し方に変わる時期がやってきます。言語心理学で、成人文法性の獲得といわれる現象です。 成人と共通の文法をマスターしたので話題が共有できるのです。
それまでの会話は母親あるいは父親と1対1の会話です。同じ頃から、記憶のあり方も変化してきます。それまではフラッシュ記憶(静止画像、すなわちスナップ写真)であったのが、ビデオ記憶(動的画像)としての記憶に変化します。

この段階まで発達してくると、母親相手だけでは物足りなくなってきます。家から連れ出して、外の世界を探検させてくれる存在が必要になってきます。それが父性です。

生得的な母性と獲得される父性
さて、母性的なものはこどもの意識の中で、はっきりとは自覚されません。乳児期における母親との触れ合いは、無意識の深層に沈んでしまいます。人格の一番底にあるもの、その個人の人格そのものとなっているのが、生後2年頃までの母親との密着した時間の流れによって形成されているのです。ときおりフラッシュ画像としてよみがえることはあっても、通常は気づかれないことのほうが多いのです。

母子相互作用は、すでに胎児のときから始まっています。妊娠の間ずっと、母子は同じリズムで生命を営んでいるのです。夜中に赤ちゃんが泣いておっぱいを欲しがれば、眠いのも忘れて起きることができます。赤ちゃんが泣くことで乳が張り、吸われることで産後の母体の回復も早くなります。出産後も母子の生理的つながりは切れません。

このように母性的行動は無意識で行われます。意識して行動するとおかしくなりかねません。もともとどのような動物にも備わっている、本能にもとづく行動だからです。

ところが、父親が父性を獲得するのは、本能ではなく意識して努力してはじめて可能になるのです。夜中に赤ちゃんが泣いたときに、「うるさいなあ、眠いのに。」と思う父親がいます。母親が断乳の努力をしているときにも、「うるさいけん、はよ、乳やって眠らせんかい。」と怒鳴る父親もいます。赤ん坊を投げ飛ばす父親さえいるのです。

しかし、ほとんどの場合に、そんな父親でも、母親が疲れた体にムチ打って、うとうとしながら赤ちゃんにおっぱいを与えている姿を見ているうちに、少しずつ親としての自覚と責任を感じ始めます。こどもを抱える母親を見て、庇護(ひご)する立場としての父性を悟るのです。父性とは意識して獲得されるものなのです。

こどもにとって、父性的なものが人格形成のうえで本当に重要になってくるのは、成人文法性を獲得し、ビデオ記憶が可能になる頃からです。母親と密着して過ごした乳児期の深層意識の外側に、父親との時間が外皮として形成されます。それは大部分ビデオ記憶として、その後の人生の中でしばしば繰り返し思い出されることになります。

サバイバルに関係したこと、家庭の外で生きていくために必要なこと、それらをこどもにしっかりと伝授するのが父親の役目です。ハサミや小刀の使い方などを通して、危険への対処もこどもは父親から学んでいくことになります。

父親は、こどもの目を自然界に対して開きます。初めて触れる自然の不思議、それらすべてが、こどもの真っ白なフィルムに鮮やかに写し込まれ、ビデオ記憶として後々まで残ります。その経験が、はるか後に重要な意味を持ってくるのです(後述)。 もちろん父親の役目を母親が代行しても、特に問題になるわけではありません。最近では、1人親の家庭が増えていますので、母親が母性と父性の両方の役割をになう場合も増えています。逆に、生まれたときから母親不在というような状況もあります。 このような場合には、母親の代りに母性を努めるのは、祖母のことが多いようです。 1人親だからこどもができそこなう、というような単純な図式ではありません。

今日の青少年非行の特徴と父性の不在
今日では、幸せを絵に描いたようなふつうの家庭、のこどもの非行が増えています。 両親も揃っていて、一見、何不自由なく育てたはずのこどもが事件を起こすのです。

とくに注意を要するのが、優しすぎる父親です。一家に母親が2人いるようです。 私はこれを擬似(ぎじ)母子家庭と呼んでいます。母親がいるにもかかわらず、父親が母性的存在であることは、こどもにとっては不幸このうえないことになります。 父親がいるにもかかわらず、父性が不在であることは、母子家庭で、母親が父性役割を兼ねている(兼ねざるを得ない)場合よりもはるかに厄介です。

こどもが2歳頃までは母親のような父親でも構わないでしょう。もともとその頃までは、母親さえいればこどもにとっては足りているからです。しかし、思春期の入り口で、こどもは第2反抗期に入ります。体格が親に匹敵するようになると、腕力では、母親は対抗できません。その時に父親の、ガツンと一発、が必要になるのです

ところが、大事な局面で、ガツンが有効に働くためには、それまでのこどもとの関わりの中で、父親自身が、母親(母性)とは違う存在として、こどものこころにインプットされていなければなりません。父親と距離が離れてくる思春期においてもなお、幼児期での父親との共有経験が、こどものこころの中で生き続けているような父親です。 (次号で終了予定)

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