からだの病気とこころの病気では、対応がまったくちがうはずだ、と思われているようですが、実はほとんど変わりません。
私たちがからだの病気になった時のことを想像してください。例えば、車の故障とからだの故障とはどこが違うのでしょうか?
車の故障というものは、車自身の努力で治ったり自然に治るということがありません。
ところが、私たちには自然に治る力が生まれつき備わっているのです。この能力を、 自己治癒力(じこ ちゆ りょく)と呼びます。
この能力は、生まれた直後にはとても弱いのですが、成長とともに、少しずつ強くなっていきます。だいたい6歳頃になると成人と同じレベルになります。高齢者ではふたたび低下し始め、80歳を過ぎると非常に低下します。
しかし、成長とともに強くなっていくとはいっても、病気を経験しなかったら、いくら待っても強くなりません。水泳や自転車のりと同じで、失敗をくり返しながらの練習によってのみ、この能力は獲得されます。病気という失敗を通して得られる学習効果なのです。
ですから、病気にかかることをおそれてはいけません。かかっても大事にいたらない工夫があるはずです。
どういう工夫かといいますと、本来だれもが持っている、この自己治癒力を目いっぱい発揮できるように、少なくとも足をひっぱらないように注意する、ということです。
たとえば、インフルエンザなどで高い熱をだすことがあります。その熱で頭が変になるのではないかと心配するあまり、最初からドカンと解熱剤(げねつざい)を使ってしまう、そういうことが少なくありません。
しかし、からだは決してむだに熱をだしているわけではありません。何とか自分で治そう、とせいいっぱい努力しているのです。
そのための熱なのに、少しでも体温が上がったらすぐに下げられてしまう。治療しているつもりで足をひっぱっているわけで、まずいことをしている可能性があります。
私は、高熱の患者さんに対しては、それが何らかの病原体によるものであれば、熱を下げずに、漢方薬などで逆に体温を上げる治療をすることがあります。
すると翌日か翌々日には下がるのです。 からだが自分で治そうとしている力を信じて、それを助けるほうが早く治るのです。 これは、いくらコンピュータが進歩しても、車や機械にはとうていできない芸当です。
では、この自己治癒力という、神様が与えてくださったすばらしい力は、からだの病気に対してだけ備わっている能力なのでしょうか? もちろんそうではありません。
こころを有する動物である私たちヒトには、こころの自己治癒力も備わっているのです。
こころにダメージを受けたときに、私たちは、それまでの人生で自分が経験し、手にしてきた、あらゆる状況の記憶、感覚、想像力、それらを総動員して、何とか自力で、そのダメージから抜け出そうと努力します。
無意識的あるいは意識的な葛藤(かっとう)や格闘(かくとう)をくり返し、どうしてもこころのダメージから回復できなかったときに、初めて、はためにもわかるほどの、いろいろな異常が現れてきます。たとえば、
① 自己のからだの拒否
腹痛、吐き気、下痢、食欲不振、不眠、めまい、手足のしびれ、髪が抜ける、
湿疹、体重減少、呼吸困難 、自傷行為、自殺企図、など。
② 他者との共同行為の拒否 声がでにくい、目が見えない、耳が聞こえない、
引きこもり、帰宅拒否、徘徊=はいかい、不登校、出勤拒否、など。
③他者の身体あるいは財産への攻撃 学校器物損壊、ストーカー行為、
セクハラ行為、万引き、強盗、殺人、など。
これらを、自力で処理できるかどうかは、それまでの人生で、どれだけ家族や他者との関わりを築いてきたかにかかってきます。
つまり、自分自身を信頼できるか否か、そのことがこころの病気からの回復には、もっとも大切なポイントになってくるのです。
からだの病気の場合には、病気を数多く経験すること自体が、病気に耐えるからだを作ってくれるのですが、こころの病気でもまったく同じ。家族、兄弟、友人、世間の荒波にもまれないで、箱入り息子や娘に育ってしまったら、いざというときに、たちうちできず、やられっぱなしになります。
だから、多くのまさつを経験することが、タフな人生にはどうしても必要なのです。
からだの病気もこころの病気も同じように、どういうケアーをしていけば、自己治癒力をそこなわずに病気と闘えるのか、それを患者さんやご家族と一緒に考えます。
患者さんの側としては、原因や理由をあれこれ探り、悩む必要はありません。
なってしまったものは仕方がない。
それよりも、次にどうすべきかを考えます。
また、原因にはこだわらないという方でも、 「おまかせするから、しっかり治してね!」式の方が結構おられます。しかしそれでは、せっかくこどもさんが病気で苦しんでいるのにもったいない、と思いませんか?
病気に立ち向かうのは、「自己治癒力」を備えた患者さん自身。それを家族が支え、私たち医療の専門家がリードしていく。 それがあるべき医療の姿だと信じています。
こどもさんの病気という、親にとって最もつらい体験をするのですから、何かをつかんで立ち直る、「元を取り戻す」ことが大切だと私は考えています。そのことを日々の診療の中で、ご家族に気付いていただきたいと願って、この通信を書いております。