1997年8月27日(水)より9月7日(日)まで、福岡教育大学調査団の共同研究者として、中華人民共和国の新彊 (しんきょう)ウイグル自治区へ出張してきました。これは私的なバカンスではなく、文部省から研究費の支給を受けて参加した調査研究旅行です。今月号は、医学記事はお休みしてこの調査旅行の報告とします。
調査研究の目的:その背景
もともと不登校や自閉症の子どもたちを社会復帰させるために、福岡教育大学保健管理センター所長の碇(いかり) 浩一教授(精神科医)や、教育学部の横山教授たちが始めた「日中友好交流子どもキャンプ」に、今回の調査研究計画は端を発します。
この「こどもキャンプ」は例年、新彊(しんきょう、中国発音はシンジャン)ウイグル自治区のいずれかの村落周辺で、開催されています。第9回目にあたる今年のキャンプは、タシュクルガンという地域で実施されました。ちなみに、新彊という言葉は、中国の中央政府にとって、新しく統治下においた辺境という意味です(1955年)。日本、中国(漢民族)、ウイグル族(イスラム教の民族で、言語はウイグル語やカザフ語など幾つか有ります)の子どもたちが、一カ月くらい共同でキャンプ生活をして、多くの体験学習をし、友人や大人との付き合いかたを学ぶのです。 さてこの「こどもキャンプ」の世話役として、10年あまりウイグル自治区をうろうろグルグルしている間に、碇先生たちは大変興味深いことに気づきました。すなわち、この地域の人々は、①中国という異文化、異民族に支配されているにもかかわらず、気質が温和で明るい。②生活が豊かではないのに、病気が少ない、長寿の老人が多い。③子どもの間で「イジメ」という現象が見られないようだ。④子どもが親の言いつけをよく守り、家事を手伝う。親は学校の先生を尊敬している、などです。
そこで碇先生や横山先生たちは、ウイグル社会の家族関係や、学校のあり方を調査してみれば、日本で広く社会問題となっている「イジメ」の解決に、何かヒントが得られるのではないか、と考えたのです。そして、昨年から3年間に亘って文部省から学術研究費を受けることになり、昨年度はすでにカシュガルとホータン地区で予備調査を実施しました(地図を参照して下さい)。 昨年の予備的アンケート調査では、ほぼ全員の生徒が、「生まれてきてよかった」「家庭が楽しい」「学校が楽しい」と答えていました。そこでこのアンケート対象を拡大し、さらに今年は小児科医にも参加して欲しいとの要望があり、私が参加することになったというわけです。
今回の調査旅行で分かったこと さて
私は今回が初めての参加でしたが、ホータン地区の2つの小学校、1つの中学校、2つの幼稚園を視察し、保健担当の医師(日本と違って中国では、専任の医師が保健医として各学校・幼稚園に配属されています)からお話しを伺いました。また幾つかの村落を訪ねて、老人と子どもの関係を調査しました。結果は、
① 保健室を利用する生徒は稀。
② 小学校・中学校の寄生虫保有者率は5%。農村部からの通学者に多い。
③ 性教育は、「生理・衛生」の名目で、中学校2年生より男女一緒に行われる。 年に3回程度実施。テキストはない。中学校1年生女子で初潮を見るのは1学年に2~3人程度。 (日本では、中1の1学期から2学期でおよそ50%)
④ 現地では、日本の「イジメ」に相当する概念や行為は存在しない。
⑤ 学校と家庭に対するイメージの調査では、昨年の予備的調査が確認された。
⑥ 乳児健診というような制度が確立していない。
今後の研究の方向と課題
新彊ウイグル自治区は、同じ中国の国内といっても、道路や、電力・ガス・上下水道といった都市基盤(英語で、infrastructure、インフラストラクチャー、すなわちインフラと略す)の整備・普及において、北京や上海といった経済発展地区とは、雲泥の差があります。それは東京と宗像ほどの差なんてものではありません。50年前の日本と現在の日本くらいの差なのです。今回の調査を行ったホータン地区では、農村の人々はまだ泥レンガの家に住んでいます。電気も上下水道もありません。おもな輸送手段はロバです。もちろん車やバイクを見ることはできますが、一部の富裕階級だけの現象です。
それにしては、人々の表情が明るく、子どもたちは元気です。 一方、日本の子どもたちは元気がありません。戸外で遊ぶ姿を見かけません。誘拐や通り魔が恐いからでしょうが、それだけとも思えません。経済的に豊かで、何でも買って貰えて、おそらく世界的にみても、もっともモノに溢れた生活を享受しているにもかかわらず、です。この違いは一体どこに起因するのでしょうか。
ホータン地区のような辺境においても、今後、近代化が予想されています。しかしそれとともに、人々の生活習慣や、家族関係、子どもの思考、規律、対人関係までもが、歩調を合わせて変わっていくのでしょうか。 現在の日本が、すでに50年前の日本と全く変わってしまったように。そしてかつて日本人の美徳のもとであった、年長者や、親、老人、弱者を敬い、いたわる「心」、モノに動かされず、実よりも名を尊び、恥じをわきまえた伝統文化が、今日ほとんど廃(すた)れてしまったように。
近代化の普及とともに、ホータン地区の人々に今見られるような、健康さ、明るさ、初々しさがなくなっていくとしたら、その時はじめて、日本が辿ってきた戦後50年の歩みは、世界共通のものと言えるでしょう。今の私たちにとって、電気もガスも水道もトイレもない生活は、想像できません。あまりにもモノに溢れた、快適な無菌国家日本。そしてその快適さに反比例するように、人々は礼節を忘れ、子どもやお年寄りは将来に希望が持てなくなっています。 私たちは、ホータン地区の10年後、20年後がどのような変貌を遂げるのかを見つめ続けていく必要があると思います。世界中でも数少ない辺境の一つ、ホータンの調査を通して、私はそのように感じました。今回の調査研究は、これからも継続されていく見込みです。私自身もいつか機会があれば、また参加したいと思います。