ふくろうブログ

1999.05.01 ふくろう通信

一木こどもクリニック便り 1999年5月号(通算30号)

小中学校の半分は運動会のシーズンです。こどもたちにとって、この時期は心身の疲れがどっと表面化する時期です。食事と睡眠のリズムが毎日変わるような生活では、なかなか疲れが解消できません。体格と体力が未完成のこどもたちが、日常の遊びの中で自然に疲れを解消できるように、上手な遊び方・学習の仕方を考えてやることが、保護者や教師の役割の中ではもっとも大切な仕事になるでしょう。

こどもの病気の診かたと看かた(23)

例年、ゴールデンウイークから梅雨入りまでのこの時期に、どこが悪いのかはっきりしない体調不良を訴えるこどもさんが増えてきます。こどもだけでなく、そのお母さん、あるいはお父さん方にも同様の傾向が見られることがあります。 「きつい・だるい・気分が悪い」を連発し、朝の寝起きが悪い、学校に遅刻するからと足を引っ張って起こそうものなら、機嫌の悪さはどうしようもない→→→、というわけで、毎朝恒例の親子ゲンカ…。 ところが、朝はぐにゃぐにゃだったこのひと、夕暮どきにはがぜん元気になり、他の家族がそろそろ寝静まる深夜には目がランランと輝いて絶好調。 「早う寝らんねー!また明日起きれんごとなろうがー!」 「だっーてえ、眠れんちゃもーん。」

日曜の夜などはこんな会話が決り文句。 こんなこどもの数が、高学年児童の4%くらいはいると推定されています。

この体質のこどもたちは、先生や親から、 「根性のない、いつもため息ばかりついて覇気のない、ハキハキしない、だらだらした、背筋の曲がった、なまこがアクビをしたような、青菜を茹でたような、なめくじに塩をかけたような、オットセイの昼寝みたいにゴロゴロした…etc.」
どうしようもない「性格」と誤解され、あらぬ非難を受けかねません。

私自身も中学校、高校の頃はそうだったし、今でも朝の起床は苦手で誰か家族に起こしてもらわないと、なかなか自力では起きることができない状態です。

しかし、明日は好きな鯛釣りだぞ、と思うと誰に起こされなくても、早めに目が覚めます。それどころか、ふだんは乗り物酔いしやすいのに船酔いもほとんどしません。趣味は人並み以上にできる、まことに都合のよい体質なのです。

このような、しゃきっとしない、都合のよい体質を小児科では「起立性調節障害」というのですが、漢方薬がよく効きます。

いろいろな漢方の中から自分の体質に合ったものをみつけることができれば、疲労感もとれ、学習の能率も向上し、家族関係も好転し、生活の質が改善するだろうと期待できます。

介護と福祉と医療財源について

4月末から父が肺炎・脱水で危篤となり、市内の病院に入院し、とちゅうで福岡市の病院に転院する騒ぎとなりました。
満82歳の本人をはじめ、まわりがみな高齢者のため、また医療関係者として、どうしても介護には中心的に関わらざるを得ないのですが、そろそろ全身に故障の出始めた中年の身としては、診療終了後に福岡へ往復するだけで消耗してしまい、睡眠や食事もすっかり狂いました。
しかし、1週間ほとんど意識のなかった父が奇跡的に回復してくれたことで、疲れも消えたように感じます。

さて、患者サイドから医療を眺めてみると、いろいろなことが見えてきます。 入院患者の介護にあたる家族にとっては、職員であれ、他の誰であれ、他人が立てるドアの開閉の音、大きな話し声、ドタバタと走り回る音…、要するに「音」が疲れの一因となります。

しかしこれらの「音」は、寝たきり状態で、ゆっくりと回復しつつある患者さんにとっては、ボケ防止の妙薬にもなるのです。ときどき遠くから聞こえる咳ばらい以外には、ほとんど物音さえしない、森閑とした昔の結核療養所みたいな施設であれば、おそらくかなりの患者さんが痴呆化してしまうことでしょう。

絶えずいろいろな「音」が寝たきり患者さんの耳に届くことによって、脳は活性化され、血圧や呼吸や循環、ホルモンの分泌などが変化を受けるからです。

また、点滴スタンドや尿道カテーテルの入ったままのからだで、歩行訓練をしている患者さんにとっては、階段の昇降は、きわめて危険性の高い動作になります。もしもこのような患者さんが階段を降りてくる現場に居合わせたら、その人が無事に廊下に降りてくるまで、下で待つのが礼儀です。もちろん転倒した場合にはすぐに駆け上がる態勢で見守るのです。

あるいは自分の一歩前を、そのような患者さんが階段を上ろうとしているのを見たら、追い抜くのではなく、後ろからついていくべきでしょう。もしも滑ったりしたら、いつでも支えられるように。

高齢者や何らかのハンディキャップのある人、病人にとっては、近頃、新聞や雑誌の広告で見かけるバリアフリーの住宅(動線上に段差のない建築)は本当にありがたいものだと思います。

しかしもっとも大きな障害は、行き交うひとびとの心の中に存在する、目には視(み)えないバリアー(障壁)なのです。

日本に比べて医療福祉政策が格段に進歩している北欧社会では、一時的な弱者 (妊婦さんや幼児を抱えた母親、病人)と、永続的な弱者(高齢者、ハンディキャップのある人など)を問わず、すべての弱者を社会の成員みなで支えていく、という姿勢がはっきり見られます。

その福祉政策に必要な財源ほとんどを間接税でまかなうため、国民生活に直結する消費税率が25%に達する国もあります。

まもなく21世紀。日本はどのような高齢者医療、福祉を考えるのか。財源はどこからもってくるのが公平なのか。私たち一人一人が真剣に考えることが大切です。

ふくろうブログTOPへ