ずいぶん以前のことですが、こどもさんの受診にみえたあるお母さんの話です。大切そうにB5版の大学ノートを抱えておられます。拝見しますと、いろいろな医療機関を受診したときにもらう薬の説明書や、病院から配布される種々の案内書などが日付順に貼り込まれていますし、子どもさんの症状や医師の説明、注意などもチョコチョコと書き込まれています。
「ハハーン、奥さんはいわゆる‘何でも記録魔’って性分ですね。」
「そうなんです。このノートが見当たらないと何だか落ち着かなくてえ。」
「ホウホウなるほど、急患センターの記録までちゃーんと貼ってありますねえ。これはイケ ルなあ。ウーン、なかなかアイデアものですねえ。フーム、これは他の患者さんたちにも 紹介させてもらいましょうかねえ。ところで、ご主人の分も同じようにしてあるんですか?」
「あーらイヤダ、そおーんなことしてませんよう!」
(何がイヤなのか分かりませんが。いったい、ダーレがするんです?っていう雰囲気でした。)
アーラアラ、とご主人に少し同情しましたが、しかしこのような受診記録は、母子手帳の補助になるもう一つの育児日記でもあります。
こういうノートはただ家族にとってのみ有用なのではありません。診療する側にとっても、大切な事項が時系列で記録されている得がたい情報源なのです。
よく前医(先発登板ドクター)から処方してもらった薬の現物を持参されるお母さんがおられます。われわれもそれなりにプロですからある程度の見当はつくのですが、なかには皆目わからないものもあります。やはり現物を持参されるよりも、説明書の方がはるかに理解しやすいことは言うまでもありません。
とくに錠剤やカプセルになると、けっこう毒々しいカラーのものもあって、「フーム、これはもしかするとアダルトグッズのお店でしか手に入らないという、オジサン向けの妖しい薬かも知れんなあ、ウワサの」などとフト考え込んでしまうのです。
ところが兄はからんや妹はからんや、それがかの有名な一流抗生物質と同じ内容のゾロ品(注)であったとなると、もう薬のことはワケガワカランヤということになるのです。 注:ゾロ品=A社が初めて開発したボケ予防の新薬(商品名:ボケナオール)が爆発的に売れたので、同じ構造・成分のものをB社、C社、D社…がそれぞれオタンコリン、ボケナスリン、ウロツキマワールという商品名で発売したとする。この場合、開発研究費のかかったA社の製品をピカ新といい、B、C、D…社の製品をすべてゾロ品という。一つ当たると、そのうまみにあやかろうと、雨後のタケノコのようにぞろぞろとでてくるため。ピカ新もゾロ品も厚生省が定める薬価は同一であるが、医療機関が購入する価格はピカ新が一番高く、後で市場にでてくるゾロ品ほど安くなる。医療機関とすれば、最低価格のゾロ品を購入してピカ新と同じ金額を支払い基金に請求できるわけである。いわゆる薬価差益の問題はこのように同一成分に対して、複数の薬剤が存在することも密接にからんでいる。
処方せんを薬局に持って行くと、必ずお薬の説明書・注意書をつけてくれます。院内処方の病・医院でも、たのめばお薬の袋に内容を書いてくれることがあります。先発ドクターがお薬の種類、量、どんな注意を患者さん側に伝えてあるのか、そんなことを知った上でないと、リリーフで登板した医師は落ち着きません。それどころか先発と同じくボコボコに打たれるかも知れません。情報がない、しかもリリーフという状況は先発よりもなおつらいからです。
先発ドクターの治療内容が病気の経過そのものに影響を与えますから、その治療内容を正確に知ることによって、リリーフで登板したドクターはより適確な治療方針をたてることができるようになるのです。ですから、先発ドクターの治療は、決して無駄になったわけではありません。どんな情報でも、何もないよりはあった方がましなのです。先発投手が打たれた記録をこまかく残しておけば、リリーフ投手は安心して勝利を目指すことができるでしょう。
野球にたとえましたが、ピッチャーがボールを投げるかわりに、医者はお薬を投げるから投薬というのかな、と考えた方はいませんか。もちろんそういう理由ではありません。
投薬というのは、医師と患者さん側がある治療内容について、「意気投合」したその合意にもとづいておこなう治療のことです。したがって、もしもそのお薬でマイナスが生じたり、期待したような効果がまったく得られなかったりした場合には、そのことを医師の方へきちんと投げ返さなければなりません。それで初めて投合(投げ合い)が成立するわけです。
もしも一方的に医師が投げるだけであれば、それは治療のしっぱなし、処方しっぱなし、フィードバックのない困った状態になってしまいます。必ずある治療に対してその効果・手応えを記録し、投げ返さなければなりません。
一人に一冊ずつの受診ノートをつくるようにお勧めするのは、症状とそれに対する治療、そしてその治療に対する反応を記録していくことが、病気を注意深く観察し、個人個人の体質を把あくしていくうえで、大変役に立つからです。
複数の科を受診したり他の医院や夜間急患センターを受診した時にも、すべてをノートに記録して、あるいは書類を貼り込んで、一人づつのファイル作りを心がけて下さい。病気になっても、転んでもタダでは起きないように。できれば病気の時にもそれを楽しむくらいの余裕を持って。必ず何かを身につけて親もいっしょに成長するつもりで付き合いましょう。 なお余分なことですが、私のクリニックで処方するお薬はほとんどすべてがピカ新です。