ふくろうブログ

1997.11.02 ふくろう通信

一木こどもクリニック便り 1997年11月(通算11号)

さだまさしさんの曲の中に「トパーズ色の風」という詩の部分があります。11月はトパーズの月。その透明な琥珀色は、刈り入れが終って冬を迎える晩秋の田園風景を思わせます。さて今月号から数回にわたり、子どもたちの「心」に関わる問題をさまざまの角度から考えてみたいと思います。

いじめについての考え方 ①

ある日突然に、どこかの中学校の生徒が自殺をした、というような記事がメディアに流されます。そして遺書には、「いじめ」にあっていたことがほのめかされたり、具体的に加害者(たち)の名前が記されていたりします。しかし、担任の先生も校長先生も「思い当たるフシはない」「調べてみたけれど、該当するような事実はなかった」と発言します。それどころか、しばしば当の生徒の親でさえも、「うちの子が自殺をするような悩みなどなかったと思う。全く気づかなかった」と言うのです。

これは一体どういうことなのでしょうか。これから長い人生を生きられたはずの子どもたちが、現実に自ら死を選ぶほど追いつめられていたというのに…。 なぜ、いじめは、親自身も含めて、周囲の大人たちには「見えない」のでしょうか。

いじめは、なぜ見えないのか

これまでにも、いじめに関する出版物は数多くあります。「学校が悪い」 「加害者も被害者も、家庭に問題がある」 「いじめられる側にも責任がある」 「現行の受験制度・競争社会を放置している政治が悪い」、「いじめは日本の文化である」など…。

そこで、この問題を考えていく前提として理解しておくべき、重要な論文をご紹介します。
いじめの政治学 中井久夫 「アリアドネからの糸」 みすず書房 (1997、8、8第1刷) 所収 (注:中井氏は、97年3月に神戸大学医学部教授を定年退官された、精神科医)

中井先生によれば、いじめは、孤立化、透明化、無力化の3段階を経て完成するとのことです。いじめの力動(ダイナミクス)あるいは、政治学を理解するには、この本で指摘されていることを、共通の前提として議論することが必要であると思います。まだ中井先生の本を読まれていない方には、ぜひご一読をお勧めいたします。

お知らせ

ご紹介が遅れましたが、10月より新しく、心理士の長澤 浩(ながさわ ひろし)先生にカウンセリングを担当していただくことになりました。大学および大学院で研究された期間が長く、まるでお勉強のために生まれてこられたような方です。ところが関西弁のせいか、いざ話し出すと、これがホンマのカウンセリングちゃいまっかあー、という感じですわあ。ちなみにご専門は、イメージ療法といいます(何だかイジメの療法みたい)。北九州市の学校カウンセリングも担当しておられます。私とちがうところは、先生は独身なのです。フレーフレー長澤先生!

編集後記

腰痛と闘いつつ、今月号は何とかセーフで、ホッ!皆様のご意見など も掲載したいと考えておりますので、ご希望の方は受付にお申し出下 さい。 (文責 一木貞徳)

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