ふくろうブログ

1999.06.01 ふくろう通信

一木こどもクリニック便り 1999年6月号(通算30号)

梅雨入り宣言後から晴天つづき。梅雨あけかな?と思い始めたとたんに連日の集中豪雨でついに記録的水害。いよいよ1999年7の月(ノストラダムスの予言)が始まるのでしょうか。

こどもの病気の診かたと看かた(24) 脳死と臓器移植について

「脳死臓器移植法」が制定されて一年半、今春になって脳死者からの臓器移植がすでに4例実施され、早くもドナー(臓器提供する個人)の条件をゆるくしようという意見がでています。見直し意見のポイントは、

① 現在、脳死判定で除外されている6歳以下の小児に対しても脳死判定を実施すべきだ。 先天性の心臓病や肝臓病で、移植するしか 延命手段のない小児患者さんに成人ドナー の臓器では、サイズが合わない。小児の移 植用臓器は小児のドナーから提供したい。
② 15歳未満の脳死者では家族の承諾だけで臓器提供可能とすべきである。
③ 成人ドナーの場合家族の同意は不要にする。
④ 生前に本人の意思が確認できない場合でも、 家族の同意があれば臓器提供できる。

要するに、幼小児から成人までドナーとなりうる対象を拡大して、絶対的に不足している移植用の臓器を確保しようとの方向です。

4例の脳死移植とも、ドナー側はマスコミに取材されることを極端に恐れ、厚生省や日本臓器移植ネットワークも、ドナーのプライバシーを守ることを言い訳に情報公開を拒否しています。移植医療は始まったばかりなのに、現状では健全な移植医療の発展にマイナスと思われることが多すぎるように感じられます。

臓器を受ける側から見た条件

移植に適しているのは、今の瞬間まで生命活動を行っていた、キズのない瑞々(みずみず)しい臓器です。高齢者のくたびれた心臓や、たばこのヤニだらけの肺臓や、生活習慣病で脂肪まみれになった肝臓では役にたちません。健康な若い人が事故や事件の被害者となり、あるいはクモ膜下出血などで脳に大きな障害を受けた場合の臓器が移植には理想的です。

提供側の家族の心理状況

ところがこのようなケースほど、残された家族にとっては、まったく突然の悲報、心の準備などできる余地もなく、まさに降ってわいたような心理的状況の中で、わずかな時間で提供を承諾するか否かの判断を下さなければなりません。目前の肉親は、心臓はしっかり脈を刻み、肌は温かく、触れればじっとりと汗ばむことすらある、そのような体なのに。

もしかしたら息を吹き返して、目をあけてもう一度喋るようになるのではないか、と期待して介護に努める家族の間にも、数日が経ち、数週間がたつにつれ、やがてあきらめの雰囲気が徐々に広がってきます。何よりも介護に疲れ果てて、もう心臓でも肝臓でもあげます、早く何とかしてくれ、と願い出たとしましょう。答えは「いりません、そんなもの」です。
肉親との別れを、泣くだけ泣いて、悲しみのどん底までいって、もう十分気が済んだからドナーとなりましょう、では遅いのです。

人工呼吸器につながれ、点滴で生命活動を維持しているからだの中で、臓器は時々刻々といろいろな変化を受けています。脳死の判定がなされたら、一刻も早く取り出さなければ、移植に使えるシロモノではなくなるのです。

移植医の仕事と移植医療の本質

脳死者から臓器を摘出する移植医は、獲物に群がる肉食獣でもあり、一方では、移植以外に助かるすべのない患者さんにとって、神様の贈り物を届けてくれる天使でもあります。移植を受ける人は、移植された臓器を食べたのと同じであり(カニバリズム=人肉喰らい)、ドナー側から見れば、自己のからだでは助からなかった臓器が、他人のからだを借りて復活することでもあります。
これは結局、食物連鎖の中に自分を組み込むことであり、他人のからだを乗っ取って臓器となって生き続けると考えることもできます。

脳死判定自体の問題

脳死判定に使われる厚生省脳死判定基準では、
(1) 脳血流停止の確認
(2) 聴性脳幹(ちょうせいのうかん)反応 消失の確認
の2点を義務づけていません。この2点が確認されたら、それは脳の器質死、すなわちその脳は脳死になった、と断定できるのですが、厚生省の判定基準では、脳の機能死しか言えません。脳としての仕事はしていないが、脳細胞としては生きている可能性が残るのです。

こどもの脳の特性=発達途中で未完成である

脳の発達は生後6歳頃完成します。脳が発達途上にある6歳以下の小児では、脳波が平坦(厚生省脳死判定基準のひとつ)になっても、ふたたび出現することもある、という成人では見られない現象さえおこります。6歳以下の小児に脳死判定を行うのであれば、厚生省の基準に(1)(2)を加える必要があるでしょう。

救命努力放棄の可能性

さらに問題となるのが、ドナーカードを所持していたばかりに、救命の方向への努力が途中放棄されて、脳死でもないのに脳死者へ仕立て上げる方向へ、救急医療が大きくねじ曲げられる可能性もないとは言えないことです。
たとえば、近年話題の「脳低温療法」により、従来は救命不可能とされていた患者さんでも救命できる可能性が増えています。しかし早期のドナーカード提示は、このような医療を受ける可能性を狭めることになりかねません。

脳機能保持か他の臓器の鮮度保持か?

脳に障害を受けたときに注意するべきは脳の腫(は)れを防ぐことです。脳は水分過多をきらいますから、点滴量を少なめに厳密にコントロールします。ところが心臓、肝臓、腎臓など、提供用の臓器を新鮮に保とうとすれば、たっぷりと点滴をするほうがよいのです。 治療態度としては、反対の方向になるのです。

まだ脳死の確認にいたらず、家族が臓器提供に最終的な承諾を伝える前に、もしも点滴スピードが早められ、積極的に血圧を維持する薬物が使用されていたならば、それはまだ見込みがあるかも知れない脳に早々と脳死の宣告をして、その患者さんをドナーの方へ導こうとする無言の意志かも知れません。

救命救急医療の現場でどのような医療が行われ、脳死と診断されたのか、ドナー誕生までの過程を監視するには、正確な情報公開が欠かせません。治療経過をつぶさに検討すれば、救命医療がどのような意志のもとでなされ、ドナーカードの提示がどのような影響を与えたのかを追跡することができます。 透明性の低い医療環境では、脳死者を作り出すことも不可能ではないように思えます。

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