最近は、人から人にうつるおなかの病気(感染性胃腸炎)の患者さんと、ときおりインフルエンザらしき患者さんも受診されますが、平均的には暖冬のせいか、食中毒と思われるケースも混じり、便の検査でサルモネラ菌や病原性大腸菌も検出されています。病原体は口から侵入しますので、手洗いに注意しましょう。生ものや、半解凍・半調理食品を食べたあとで腹痛や嘔吐、下痢など、おなかの異常を感じた場合には、置き薬で対処せずに、受診されたほうが安心です。
こどもの病気の診かたと看かた(43)注意欠陥/多動性障害(ADHD)その②
ADHD児の基本的症状は、①注意の持続ができない、②多動性、③衝動性の三つがあり薬物療法は③に対してはあまり期待できません。強い抗精神薬では③も抑制できますが、逆に、発動性のない元気のない状態になることがあります。現在、①と②の症状に対して70%くらいの有効率が認められているのは、メチルフェニデイト(市販名リタリン)です。
さて、ADHDのこどもさんに対して、日常どのような対応をするのが良いのか考えてみましょう。正解は一つとは限りません。方向を感じとっていただければあとは各自で工夫できるでしょう。
x「また何かしてきたとや?」
→ ○「今日はどんないいことがあったのかな?」
x「どうしてそんなに落ち着きがないとやろうね?」
→ ○「だんだん落ち着きがでてきたね。いいぞ!」
x「どれもこれも放りだして、何を考えとるんかね?」
→ ○「ゆっくりでいいから一つずつやろうね。」
x「またあの子をイジメたんか?いかんと言うとろうが。親の気持ちにもなって見ろ!」
→ ○「あの子を叩いたりしようなんて、君は思っていなかったのだとお父さんは 信じるよ。そのとき君が本当にしたかったことは何だろうね?」
x「今日も学校の先生から電話があったとたい。もうあんたの顔も見とうなか!」
→ ○「先生が心配しておられたよ、昼休みに突然ボコ君を殴って、鼻血をださせたんだってね。ボコ君だけでなくって、ボコ君のお母さんも、あなたのお母さんも悲しい。ボコ君痛かっただろうなあ。明日ボコ君に会ったらちゃんと謝ってね。」
こういう問いかけをくり返すことによって、対人関係への心くばりと共感性、想像性を養っていくのです。これはADHDでないこどもへの関わりかたでも使えるノウハウなのです。
ふつう、ADHDでないこどもでは、親の言うことにかなり聴く耳をもっています。もちろんそれは乳児期の母子関係、幼児期以降の家族関係次第で、大きく異なったものとはなりますが。
ところが、ADHDでは、最初からボタンの掛け違いがおこっているため、親としては、常に叱り続けながらの対応になりかねない、という育児上のマイナス行動を余儀なくされてしまいます。つまり、現在の母子関係、家族関係、家族外との社会的関係のまずさは、それまでそのこどもと家族がどのように関係してきたかという、その総和として表現されます。
同じADHDのこどもでも、母親をはじめ家族皆が、そのこどもを受け入れようとしてきたか、それともこの子は困ったこどもだ、いない方がましだ、というように拒否的な態度で関わってきたのか、その関わりかた次第で、決定的ともいえる差が生じるのです。
親から拒絶的な接し方をされたこどもの自尊心は非常に低下します。こどもにとって、家族外の誰よりもまず親に、とりわけ母親に受け入れてもらえるかどうか、そのことが、そのこどもの将来の人格的発達に決定的な影響を与えます。親とくに母親が一番のよりどころなのです。成長する過程で親から受け入れてもらっていないという感情を持ち続ければ、そのこどもの自尊心は育たず、突発的な、自分の命も他人の命も尊重できない人格となりかねません。
恐喝や、家出をくり返すこどもや、薬物・アルコール、あるいは性犯罪に走る少年・少女たちには、自分を大切にする心が乏しい、自尊心が低い、という共通する人格的特徴が見られます
だからADHDであるかないかにかかわらず、こどもが自分自身を大切に思う気持ちを幼い頃から十分に育てることが、非行防止につながることになるといえます。
こどもがADHDとして生まれてきたという事態は、親にとってもその本人にとっても、相互のコミュニケーションを取りにくい困った事態ではありますが、そのこどもの存在自体は貴重です。
親としては、自分のこどもが落ち着きなく、衝動的な行動も見られ、ADHDの心配があると思われたときには、迷わずに心の専門家に相談し、一人で悩まないようにして欲しいのです。 また「この子は私のこどもなのだから、すべて私が責任をとって、何とか立派に育てる」と気負う必要もありません。むしろ早い段階で、円滑な親子関係を築いていくためのスキル(技法)を身につけるほうが、余裕も生まれますし、将来の効果も異なってきます。
心の片隅で、「この子は手がかかる、難しいこどもだ、出産前に予定していた事態とぜんぜんちがっている。こんなはずではなかった。」と少しでも思われるかたがおられましたら、是非ご相談ください。こどもとうまく関わるという技法を身につけることが、こどもさんにとっても、ご家族の方にとっても、安心して安定した親子関係を築くことにつながるだろうと思います。
前号でも述べましたが、こどもが将来、社会の中で安定した対人関係を築くことが可能かどうかは、その子が何か特定の技能に長けているかどうかということとは関係ありません。それよりも、情緒が安定して成長できるか否か、そのことの方がその子どもの人生にとっても、周囲の人間にとっても、よほど重要なことといえるのです。
小学校低学年集団におけるADHDの頻度はおよそ3%と推定されていて各クラスに1人はADHD児がいることになります。担任の先生や学童保育で接しておられる方は、ADHDのこどもに接すると心身が消耗するほどの苦労を体験します。その先生自身が心身症になりかねません。 それでもこどもの目の高さで対応する極限の努力が求められるでしょう。
その努力に行政も地域社会も、最大限の援助を惜しんではなりません。地域社会が受け入れなければ、ADHD児を抱える家族に居場所はなく、家族に受け入れられなければ、ADHD児はどこにも居場所はないでしょう。家庭だけでなく、学校の力、地域社会の力が問われているのです。 ADHDという存在への対応で、学校や地域共同体の成熟度が試されているのではないでしょうか。