ふくろうブログ

2003.01.01 ふくろう通信

一木こどもクリニック便り 西暦2003年1月(通算73号)

新しい年を迎えました。本年がみなさまに佳い年でありますことを心から祈ります。

こどもの病気の診かたと看かた (96)高熱時の対応

インフルエンザに限りませんが、感染症の発熱は、病原体とたたかうための自衛手段ですから、むやみに下げることは好ましくありません。

解熱(げねつ)、すなわち熱を下げるのではなく、熱はどんどん出させ、そのかわりにうまく放熱する方法を考えましょう。市販の放熱シートは、安全な放熱手段です。

解熱剤(げねつざい)は、体の中で発熱そのものを邪魔して自衛手段を妨害します。
使わなくても済むのであれば、なるべく使用しない方が良いでしょう。

解熱剤を使用せずに様子を見ることができるのは、以下の場合です。

  1. 水分がとれていること。カロリーは一晩くらい摂れなくてもよい。
  2. 睡眠が可能。呼吸がしっかりしていることが条件です(換気の確保)。
  3. 排尿がある。発熱時には、ふだん作られない物質がたくさんできます。

これらは産業廃棄物で、早く出て行ってもらう必要があります。

産業廃棄物が体外にでていくルートは2つ。

  1. 揮発性の廃棄物は、呼吸により大気中に排泄されます。
  2. 揮発できない水溶性の廃棄物は、腎臓から尿中に排泄されます。

呼吸排尿が悪い状態では、産業廃棄物がうまく出て行けないので、臓器の働きが悪くなります。それでは、うまく病気と戦えません。

薬によって解熱を試みる、すなわち解熱剤を使う場合には、あらかじめそのマイナスがでないように、薬がでていくルートを確保しておく必要があります。
薬の排泄ルートの大部分は腎臓なので、排尿が悪いときにはよく考えます。

熱があるのに、手が冷たく顔色も悪い場合には、血液の循環が良くないので、すぐに解熱剤を使わず、少しずつ水分を与えながら、それらが改善するまで待ちましょう。

冷えたおしぼりや放熱シートをいやがる場合、体温より低い温度であれば、解熱効果は十分あるので、20℃くらいのおしぼりでよいのです。こまめに換えてやりましょう。

外国では積極的に入浴させて皮膚を清潔にし、放熱効果をあげることも勧められていますが、日本の家屋は湯冷めしやすい構造の建物が多く、同一には論じられません。

こどもの病気の診かたと看かた (97)父から学んだこと

小学校4年生の頃。当時の私は昆虫少年で、将来は科学者になるのが夢でした。

中学校2年生の終わり頃。私は両親にも担任教師にも反抗していました。

すると父はとても悲しそうな顔をしました。そして静かに言いました。

父は小学校教育しか受けることができませんでした。

家族を養うために、丁稚(でっち)奉公をしながら、不眠不休の努力をつづけました。

文部省の中等教員検定試験に合格し、旧制中学および高校教師として、39年間におよぶ教育者としての人生を歩んできました。

思春期の苦しみの中にいた私は、父の言葉でふっと力が抜けた記憶があります。

魂の未熟なときに、私は父から多くのことを学ぶことができました。

これからも、後からくる若い人たちに良いお手本を示せるように、たえず努力して、人の上に立つのではなく、先頭を走りつづける人生でありたいと思います。

父 「科学者に一番大切なことは何だか知っているかね?」

私 「勉強して何でも知っていることかなあ」

父 「科学者にとって一番大切なことは、事実を冷静に見る観察力ではないかな」

私 「でもそれじゃあ、科学者って冷たい感じだね」

父 「だから、自然に対する敬いの気持ちと愛情をいつも忘れてはいけないね」

父 「君はどんな大人になりたい?」

私 「たくさん勉強して、偉くなって、人の上に立てる人。リーダーっていうのかな?」

父 「人の上に立とうなどと思ってはいけない。それは不遜というものだよ。

上から指図したり、後ろから命令しても、人は本当には動いてくれないだろう。

そうではなくて、誰かにこうして欲しいと思ったら、まず君が最初に動かないといけない。

率先垂範という言葉を知っているね。

どんなに困難があっても、いつも先頭を走りなさい。

後ろを振り返る必要はない。

君の走る道が間違っていなかったら、人は後からついてくるものだよ。

誰もが新しいことには不安で、お手本を求めているのだから。

君は良いお手本を示すように努めなさい。

お手本が良いものだったら、多くの人があとからきっとついてくる。

それがほんとうのリーダーではないだろうか」

父は小学校教育しか受けることができませんでした。

家族を養うために、丁稚(でっち)奉公をしながら、不眠不休の努力をつづけました。

文部省の中等教員検定試験に合格し、旧制中学および高校教師として、39年間におよぶ教育者としての人生を歩んできました。

思春期の苦しみの中にいた私は、父の言葉でふっと力が抜けた記憶があります。

魂の未熟なときに、私は父から多くのことを学ぶことができました。

これからも、後からくる若い人たちに良いお手本を示せるように、たえず努力して、人の上に立つのではなく、先頭を走りつづける人生でありたいと思います。

あとがき

昨年暮れに父が他界しました。生前ご厚誼をいただいた多くの方々に深謝申し上げます。

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