2000年1月4日から3月末までに、当院を受診されたインフルエンザの患者さんは697人でした。
インフルエンザでこわいのはウイルスによる脳炎や脳症です。これらは、けいれんや、意識の異常(呼びかけに応答しない、どこを見ているのか分らないなど)と、高体温を伴います。
けいれんが長く続く状態を「けいれん重責」と呼び、小児の救急医療では、重大な状態です。
インフルエンザでは、「けいれん重責」がしばしば起こります。それが、熱によるひきつけ(熱性けいれん=脳は大丈夫で、作業中断しただけ)なのか、実際に脳がやられてけいれんが起こっている(脳がダメになる可能性がある)のか、外見からはなかなかわかりません。
99年1―3月の流行において、全国では217名の方がインフルエンザ脳炎・脳症にかかり、完全回復は86人(40%)、後遺障害を残して救命できた人が56人(26%)、死亡例が58人(27%)、99年10月時点で経過観察中が17人(7%)でした。すなわち、もし本物のインフルエンザ脳炎・脳症であれば、半数以上が救命できないか、できても重い障害を残したことがわかります。
当院受診の697名のうち、6名が「けいれん重責」を起こし、そのうち3名は当院から北九州市立八幡病院救命救急センターに搬送しました。残り3名は、夜間のため、宗像地区休日夜間急患センターを受診され、そのまま救急車で上記の市立八幡病院に転送された患者さんたちです。
この6名は、けいれんが15分以上(最長は45分間)続いて、意識が回復しないままか、回復の悪い状態でした。数分でとまった、ふつうの「熱性けいれん」の患者さんは5名いました。
検査の結果と、入院後の経過から、この6名のうち1名のみが、実際にウイルスが脳に達していた可能性が高い「脳炎」と診断され、残り5名は「熱性けいれん」が長く続く「けいれん重責」であったことが判明しました。6歳未満5名、6歳が1名でした。もちろん「けいれん重積」も放置すれば生命に危険のある状態ですから、脳炎でなくて良かったとは決して言えません。
ところで、「インフルエンザ脳炎」であった患者さんは、幸運にも3週間の入院治療によって、完全に回復し、元気に退院することができました。残り5名の方々も元気に退院できました。
さて、「インフルエンザ脳炎」の患者さんが受けた治療方法は、最近注目されるようになってきた「脳低温療法」でした。呼吸器を使って完全に呼吸管理をしながら、麻酔薬で眠らせて基礎代謝を低くし、水冷ブランケット(ベッド全体が氷枕)に寝かせて、体温を36度前後に保つことで、脳の推定温度(脳温)を33-34度に維持するように努めるのです。
インフルエンザのような内科疾患だけでなく、頭部外傷や重症のクモ膜下出血などで、脳が広い範囲のダメージを受けると、病変部の脳そしきは脹(は)れて周辺の正常な脳を押します。
しかし脳は全体が、頭蓋骨(ずがいこつ)という、圧力鍋のような硬い骨に囲まれていて、どこにも逃げ場がないため、延髄(えんずい)へ通じているわずかなスキマになだれ込みます。
この状態を、「脳ヘルニア」と呼び、脳が脳を圧迫して、次々に出血や壊死(えし)が発生し、やがて脳死にいたります。いったん脳死になれば、現在の医学でも救命できません。
そこで、脳そしきが壊滅的な状態になる前に、脳の温度を下げることによって、とりあえず、脳そしきを保護し、二次的な事態が連鎖的に発生することを予防しつつ、時間かせぎをして、最初に起こった一次的な障害の回復を待つ、というのがそもそも「脳低温療法」の作戦です。
ノンフィクションライター柳田邦男さんの新刊書「脳治療革命の朝(あした):文芸春秋社刊」には、「脳低温療法」の歴史と現状が、詳しくわかりやすく書かれています。これはまだ、救命医療の現場でひろく普及している治療法ではありませんが、重症脳障害においては、信頼性の高い、有効な治療法として理解されつつあります。従来の治療法では、社会復帰までは困難であっただろうほどの、きわめて重症な患者さんが次々に社会復帰しているからです。
もちろん、この治療法が効果を挙げ続けるためには、救命センターの現場で働く若い医師たちの、日夜の努力を忘れるわけにはいきません。「救急」ではなく「救命」が彼らの目標なのです。
「脳低温療法」という、先進の救命医療によって、わずか3週間で、重い脳の障害から完全回復できた患者さんの幸運をよろこぶとともに、ひ弱さだけではなく、大人以上のしなやかな回復力をもあわせもっている、こどもの脳の神秘さに、私は心から感動したのでした。