ふくろうブログ

1999.07.01 事故とやけど

事故

以前東京で、痛ましい事故が起こりました。ワタ飴をくわえて歩いていた4歳の男児が路上で転倒し、割りバシがのどを突き破って脳に達した傷がもとで、翌日未明に亡くなったという報道を皆さんもご記憶だと思います。

このケースでは、診察を担当した某大学病院耳鼻科医の対応をめぐり、いろいろな意見がマスコミで紹介されていました。新聞で知る以上の詳しい事情が分かりませんので、部外者が何かを発言することは控えるべきでしょうが、気にかかることがいくつかあります。

それは、「のどの粘膜に少し傷があるようだが、大したものではないだろう、少し家で様子を見てください。」という診察医の診断に対し、「ぐったりしているのに、本当にこのまま連れて帰ってもよいのか?何か検査をしなくてよいのか?」という家族からの疑問が出されていて、それへの回答が「呼吸をしているから大丈夫。」「この程度でいちいちレントゲンやCTまで撮っていたら被爆の方が大変ですよ。」というものだった(らしい)ということです。

結局、医師の説明を受け入れて自宅に連れて帰ったようですが、翌日未明に、その男児はすでに死亡していることに気付かれ、司法解剖の結果、脳幹に達する傷が発見されます。

このような傷は、仮にCTやMRIで早期発見されても、救命できないことが多いようですから、診察時に入院させていれば救命できたのではないか、とは必ずしも言えません。
問題は、救命が可能不可能ではなく、医師や看護婦など医療スタッフの監視下で経過観察を続ける必要がなかったか?ということです。

私たち小児科医にとって、何が一番イヤか?と尋ねられたら、「ぐったりしている子ども」と答えます。チョロチョロしていれば、ほとんど心配いらない、とも言えます。

私が大学で小児医療を勉強しているときに、主任教授であったTO教授は、毎朝の討論会で主治医に、「ところで、その子は元気ですか?」と必ず尋ねておられました。内容のない当たり前の質問のように見えますが、このことはとても重要な意味を持っています。

大学病院では、研修中の主治医(多くは研修医)が、新しく受け持ちになった患者さんについて、診断名、重症度、選択すべき治療方針、今後の見通し(予後)などを、入院の翌朝に上司の医師団の前で発表しなければなりません。
要領が悪い発表に根気よく付き合った後で、 TO教授は 「ところで元気か?」 という、その たった一言で要点を把握 されていたのです。 こどもの病気では、「食べる・眠る・遊ぶ」の3拍子が良ければ大したことはない、あるいは、元気ならそれで合格ということなのでしょう。

この「元気があれば大したことはない」原則
は以下の条件付きで適用します。
急性疾患に限る。ゆっくり進行ケースは除く。
首が座っていない乳幼児は除く。
生まれつき障害のある場合は除く。
それ一つしかない局所 (目、耳、鼻、性器、 指、など) の異常は除く。

つまり新生児や、まだ首がグラグラしている乳児や、発達に障害のあるこどもや、生まれつきどこかの内臓に障害のあるこどもの場合には、この原則は適用できません。これらのハイリスク患者さんでは、一見元気そうに見えても、重重大な病気が隠れていることがあるので、必ず検査をしておく。無駄なことをしているようでもそれが安全なやり方なのです。

またガンや神経難病のようにゆっくり進行する病気や、生活習慣病といわれる病気も上の原則から除外します。診察だけで軽い、重いなどは判断できません。また1人の医師で判断しない、複数の医師の討議で、少なくとも
セカンドオピニオン(他人の意見)が必要です。

目、耳、性器など取り替えのきかない臓器の場合も、元気があるのに、病気が隠れていることが「元気」原則では解決できません。

さて以上の基本をしっかり踏まえて、今回の事故を反省してみるとどうでしょうか? 家族の申し立てどおり「ぐったりしていた」のであれば、事故の前の元気さに戻るまで、 入院観察とするべきであった、検査の必要性はその過程で誰か別の医師と相談して判断しても良かったのではないか? そう考えます。

入院して観察を受けていても多分助からなかっただろうとは思うのですが、この男児は、元気がなくぐったりしていたにもかかわらず、必要な観察を受けられないままに亡くなった。

私も研修医の頃に、当直で診た重症患者さんを診察だけで帰宅させてしまい、大失敗した経験があります。先輩医師が後でフォローしてくれたお陰で大事に至らなかったのですが。

多くの反省に立って、そのような事態を何としても避けるために、私はかたくなに「食べる・眠る・遊ぶ」原則にこだわり続けるのです。

ふくろうブログTOPへ